催眠術について
催眠術といえば、「他人を支配する」というイメージがあると思います。
「他人を支配する」「他人を操る」といった表現は催眠術の目的とはかけ離れていますが、あくまで理解を深めるために「他人の意志に影響を与える」という観点から催眠がどのように脳に作用するのかを説明します。
催眠は、主に被験者の注意集中力を高め、心の開放性を増加させることによって作用します。具体的には、催眠中の人の脳内で何が起こっているのかを説明するために、いくつかの重要な脳の領域とそれらの機能に注目して説明します。
前頭葉:前頭葉は意志決定、理解、問題解決、社会的行動などを制御します。催眠時には、前頭葉の活動が減少し、個人の批判的思考や判断能力が低下し、自己の意思が減退すると考えられています。これにより、被験者は催眠術師の指示に対してより開放的になり、その言葉や暗示が、より直接的に被験者の意識や無意識に影響を与えやすくなります。
扁桃体:扁桃体は、我々の感情と関連性の高い記憶に大きく関与しています。催眠が効果的な場合、催眠術師はこの部分にアクセスして感情を操作し、感情に関連した記憶や反応を引き出したり、変更したりすることができます。この過程は、催眠が過去の記憶を再評価したり、新しい感情的反応を作り出すのに役立ちます。
帯状回:帯状回、特に前帯状皮質(ACC)は感情と痛みの処理を制御します。催眠術師が痛みを管理するために催眠を使うとき、この領域の活動を抑制することにより、被験者の痛みの体験を軽減することができます。
海馬:海馬は記憶の形成と取り出しに重要な役割を果たします。催眠術師はこの領域を通じて、被験者の記憶を再解釈したり、新しい記憶や意識を創り出すことができます。
側頭頭頂接合部(TPJ):TPJ(Temporo-parietal junction)は私たちの自己と他者の区別、自己体験の意識、および視覚的な空間的注意に重要な役割を果たします。催眠状態にある人々は、通常、自我と現実の境界が希薄になり、自己の意識と体験が変化します。これはTPJの活動の変化が関与していると考えられています。
楔前部: 楔前部は感情と意識に深く関与しています。この領域は我々が他人の視点を理解し、自己の精神状態を意識するのに重要な役割を果たします。催眠はこの領域の活動を調節し、自我の感じ方、他人に対する共感、そして我々が現実をどのように経験するかを変化させることができます。
実行機能: 前頭葉に位置する実行機能は、計画、意思決定、問題解決、自己制御など、高次の認知的プロセスに関与しています。催眠は前頭葉の活動を抑制し、これらの実行機能に影響を与えることができます。これは、催眠によって誘導される指示への開放性と自己制御の減少を説明する要素となります。
視床下部と自律神経:催眠は視床下部や脳幹、自律神経系にも影響を与えます。これらの領域は身体の自律的な機能を制御しており、催眠によりリラクゼーションやストレス緩和の効果が得られると考えられています。
これらの機構により、催眠術師は個人の意識や行動に影響を与えることが可能となります。ただし、こうした変化は、被験者が自発的に催眠状態に入ることにより生じます。人間は自己決定的な存在であるため、催眠術師がどんなに技術的に優れていても、被験者の同意なしに催眠状態にすることはできません。そのため、催眠術は倫理的な枠組みの中で行われるべきであり、他人を「支配」または「操る」ためのツールとして使用することは不適切であると考えてください。
持続的に他人を支配したり操るためには、催眠の技法だけではなく“洗脳”の技法が必要になります。この点を誤解をしないで欲しいと願っています。
催眠術で他人を「支配」、「操る」ことができないことを、倫理的な理由ではなく、脳の神経生理学的なメカニズムの知見から説明します。
催眠術師が、個人の道徳観や価値観を無視した暗示を強制しようとした場合、思考、判断、自己制御の機能を担っている前頭葉で、特に前帯状皮質(ACC)という領域は道徳的判断を行うのに重要な役割を果たしており、催眠術でこの部位の活動を完全に抑制することはできないのです。
また、視床下部と扁桃体はストレス反応や危機反応を制御する部位です。これらの領域は生存本能と密接に関わっており、催眠術がこれらの領域の反応を完全にコントロールすることは困難でしょう。そのため、本能的に危険と感じる暗示に対しては拒否反応を示します。
さらに、腹側前頭皮質は報酬と罰を評価し、行動選択を行う役割を果たしています。もし催眠による暗示が個人の利益や安全に反すると判断されれば、この領域が反抗反応を引き起こし、暗示を拒否するのです。
したがって、催眠術を通じて人を「支配」、「意のままに操る」という考え方は実際的な観点からも倫理的な観点からも不適切であり、不可能なのです。
催眠術の使用は対象者の自己認識や自己成長を促進するため、または特定の問題を解決する手段として用いられるべきなのです。また、その使用は適切な訓練を受けた専門家によって、倫理的な規範を守りながら行われるべきです。