第6章 催眠現象と脳内メカニズム
催眠状態で運動支配が起きている時、脳内ではどのようなメカニズムが働いているのでしょうか。
人の脳の活動はほとんど無意識(無自覚)です。そうした行動に対し、脳内ではどのような働きをしているかがほぼ分かっています。
人が意図して動かそうと考えたとき、大脳の運動野から必要な筋肉に電気信号で運動指令が伝わり筋肉が動きます。しかし事前に脳は、この運動指令を出したらどういう結果や感覚が返ってくるかといった予測をしています。起こりうるあらゆる状況を予測して、瞬時に実際の行動結果のフィードバックと照合しています。これを「自己モニタリング」(予測と感覚フィードバックの照合)と表現します。
例えば、腕を伸ばしてコップの中の飲み物を飲むにしても、指でコップを摘んで上下に動かす時に、刻々と変化する慣性力など物体にかかる力(負荷力)を素早く正確に予測して、指の力(把持力)を調節し続けているのです。
このように、意図した動作を実際に行うまでの瞬間に、脳内で模倣やシミュレーションを行う神経機能によって、自己モニタリングしながら行動を続けています。脳内の活動は主に電気信号であり、情報処理は数十ミリ秒(ミリ秒= 1/1000 秒)程度の速さで行われます。ここで重要なのは、そうした感覚フィードバックが脳内のどの部位で予測し、照合しているかということです。
結果を先に書きますと、側頭頭頂接合部(TPJ:Temporoparietal junction)と呼ばれている脳部位です。側頭葉と頭頂葉が接する領域で、角回、縁上回の下部と上側頭回の後部に相当する部位といわれ、研究者たちはそこに注目しています。特に、催眠中は右脳のTPJ が活動していて、自分の体の動きを予測していると報告されています。
このTPJ の領域はボディーイメージを司ると考えられており、機能が損なわれると(この部位に電気刺激を与えるか、腫瘍ができた患者の場合など)、自己の肉体の認識上の感覚を失い、あたかも肉体とは別の「もう一人の自分」が存在するかのような体外離脱体験(OBE)や自己像幻視(AS)が引き起こされる例が多く報告されています。
したがって、このTPJ の働きを催眠のテクニックで混乱させると、予測ができず、自己モニタリングが狂い、人は自分の体の動きを“ やらされている” といった感覚として受け止めることになります。
催眠中に勝手に手が上がっていると感じるのは、実際は自分の脳が実行指令を出していて自分で動かしているのですが、動いている手を視覚情報として確認し、感覚フィードバックもきているけれど、事前予測との照合がなぜかブロックされている状態といえます。
このような、照合が正常にできていない現象は、背外側前頭前野の実行機能の働きが催眠のテクニックにより混乱が生じ、事前の予測とフィードバックの照合が抑えられているとみなされています。
以上の説明でもお分かりのように、催眠術という超能力によって、身体が勝手に動くといった超常現象などでは決してないのです。
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