1953年1月生まれ。九州大学理学部卒業。
日本催眠学会会員
子供の頃から催眠術に興味を覚え、18歳頃から、催眠が心身に与える影響の原理や技術の研究を学業の傍ら始めました。
心と身体との関連における興味と
意識と無意識が作り出す人の心の働きの謎。
催眠の技術がなぜ人の心に影響を与え得るのか。
どのように無意識に働きかけているのか。
心とは何か。 精神とは何か。魂とは何か・・・。
当時は分からないことだらけでした。
人から湧き出る“心の力”、その神秘ともいえる不思議な力の本質に関心を抱きました。
“生きるとは何か”“人の運命とは何か”を真摯に研究し追究した若い時代もありました。
その頃は人生に迷うことだらけで、何が正しいのか、どのように考え受け入れるべきかという“真理”を得たいと、多くの書籍に答えを求めても、求めても迷路にはまって苦しんでいたことを懐かしく思い出します。
でも、苦悩の日々、探究の日々を送るうちに、段々とそれらの答えが心の内側から自然と湧き上がり、感じ取れるようになって来ました。
でもまだ若いゆえに、形而上学的であり、人生経験に裏付けされたものではありませんでした。 悟りを求め、インドの原始仏教の原点である古代ヨーガの瞑想を体験する為に、インドのガンジス川の上流のリシケシという聖地で過ごしたこともあります。
長期にわたり、冬場雪が降っても毎日一人で山の中の滝に打たれ続けた時代もありました。
これらのことで多くを学び精神修行は出来ましたが、悟りという精神世界に至るにはテクニックが導いてくれるのではなく、それを追い求める純粋な想いと生き方だと感じるようになりました。
特に瞑想によって生じる“念”とも呼べる精神力はどのような精神修行によって手に入るものか、“心の力”を求めて試行錯誤していた時代もありました。
しかしながら、人は誰もが行者や修験僧のような生きかたをする訳ではないし、人それぞれが生きていく最適な世界があるといえます。
なぜなら、人の持って生まれた才能は様々で、その個人差は甲乙付け難いものだからです。
人は他の人と比較され他人の人生を模倣するべきではなく、自分の持って生まれた能力を欲張らずありのままに受け入れながら磨いていくことで、自分なりの人生の充実と生きがいに到達する努力をするべきものだと思っています。
人は宿命も運命も様々なハンディーも受け入れながら、人生という旅を通して成長、向上し、生きるという苦楽を乗り越えて人生の達成感や充実感や満足による悦びを手に入れていくものだと思っています。
芸術家は芸術の世界に身を置き、学者には学者の生き方があるように、それぞれの生来自分に備わった能力に気づき、それらを活かす生き方の中から、その生き方にあった悟りや智恵や力や意志が出現するものだと感じています。
人が真剣に人生に立ち向う時、人まねではない、その人にしか出来ない、その人に最適な生き方に自然に気づかされ導かれるものだと思います。
人生が例え多くの不条理に満たされていたとしても、困惑や不満を抱かずに、自分の生きる進路を見つけ出すことが出来たならば、その途上で多くの悟りとそれに伴う悦びを体験し、その人生の経験で学んだ全てに自信と確信を持てるようになれると思います。
そして、生きることの意義と感謝が体感できるものです。
全てに迷いは無く、自分をありのまま生きていくことが出来るようになります。
その様な人生の目的と生きがいを得た境地に到達することが真理を悟り有意義な生涯を送ることだと思っています。
人はその時、その人生を生きるに必要な、そして十分な“心の力”を得ているものです。
現在私は、心のメカニズムも分かり、催眠も使いこなせるようになっています。心の力も精神力も、それらがどの様なものかという本質が分かり活用できるようにもなりました。
そうはいっても、いろんなことに不安になり、悩んだり苦しんだりするのが人間です。でもそういった心情に陥った時、自己を最適にコントロールすることができるようになっているかが大切だと思っています。
いま私は、近年、脳科学の急激な進歩によって解明されてきている“脳機能”と“精神世界”との関係を探究することで、環境(トラウマ)や遺伝的性格によって生じている心の病や悩みの改善のため、催眠と心理療法でいかに効果的な治療を行うかの可能性を追求しています。
今後、私は人生の残された時間において、より多くの人の心に関する手助けを精一杯、一生懸命にやらせていただけることを心から願っております。
井手 無動